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弦楽四重奏聴き比べ <ベートーヴェン:「大フーガ」> その⑥ [ベートーヴェン:弦楽四重奏曲]

 今回は、再録音により演奏に磨きをかけ、孤高とも称するべき高みに到達しえた二つの団体を紹介する。それは、ヴェーグ四重奏団とハンガリー四重奏団である。両者のベートーヴェン全集はモノラルによる録音とステレオによる録音の二種がある。どちらかというとモノラル旧盤の評価が高いように思うが、「大フーガ」に限っていえば、ステレオ録音の完成度は「究極」である。

14. ヴェーグ四重奏団 (Naive) 1972年録音
15'35''

 まことに高潔な演奏である。格調・厳格さを併せ持ち、ひたすら無心にベートーヴェンの魂に接近せんとする演奏であり、これまでの演奏団体が聴かせてくれた様々な感情的側面を全く削ぎ落としていくような、ノミで身を削っていくような演奏である。無駄がなく、枯れ切った印象さえない。あの泣けてたまらないクライマックスさえ、ひたすら高みへと上り詰めていくようであり、こんな演奏は今までなかった。あのブダペスト四重奏団でさえここまでの高みには達していない。彼らの演奏はやや晦渋すぎた。ヴェーグ四重奏団のそれは厳しい演奏ではあるが、けして晦渋にはならず、聴く者の胸に直接突き刺さってくる。これは凄い。ズスケやターリヒと比較云々するタイプの演奏ではない。目指すところがまったく違う。

 あまりに厳しい演奏であるがため、聴き手を拒絶するような孤高さがあり、その緊張感には圧倒されずにはおれない。背筋がぴーんと伸びる。ベートーヴェンの後期四重奏曲を神品とする者には、超名演だろう。ただし、これは、日に何度も聴くような類の演奏ではない。

15. ヴェーグ四重奏団 (M&A) 1952年録音
16'42''

  再録音が無駄を切り詰めるまで切り詰め、ひたすら求道的な高潔な演奏であるのに対し、こちらはまだ素朴さと情緒がこもり、まだ音楽を聴かせてくれようとする趣がある。遅いテンポでじっくりと運んだ演奏である。いささかもだれるところがないのは偉とすべきだ。ただ、再録音と比べると同じスタイルとしてはまだ昇華されきっていない中途半端さがあるかもしれない。それに冒頭はいくらなんでも粘りすぎのような印象だ。

16. ハンガリー四重奏団 (EMI) 1966年録音
15'07''

 デッドな音だが、EMIとしては音が聴きやすい。ヴェーグ四重奏団と同じく、無駄を削ぎ落とし、ひたすら精神の音を聴かせてくれる演奏である。ゆるやかな部分は速いテンポで如何にもはかなげに奏する。
録音がやや荒れるのが残念だ。最初はヴェーグ四重奏団のほうが良いかなと思っていたが、どんどん集中力が増し、緊迫し、クライマックスまで一気呵成に聴かせる。しかし、時折ユーモアを感じさせる表情を聴かせるのがうまい。ヴェーグ四重奏団もハンガリー四重奏団も構築美や音の美しさとかそういったものを超えたものがある。この二つのステレオ録音は、「大フーガ」の演奏の中でも、奥の院という感じがする。

17. ハンガリー四重奏団 (EMI) 1953年録音
14'29''

 今まで聴いてきたどの団体よりもタイムが速い。冒頭はふわっと始め、第1フーガもずっしりとした刻みで威厳たっぷりだ。この部分は再録音と比べると、訴えかける力が全く異なる。ゆるやかな部分に入ると小気味良いテンポで運ぶが、新盤に比べると何となしに流している感じで、心に残らない。テンポ感もそれほど良くないように思った。ふたたび、快活なフーガに立ち戻ると如何にも朗らかな風情を一瞬見せ、その後はやはり凄い集中力と緊迫だ。ぐいぐいと語りかけてくる。しかし、それも再録音盤と比べるとまだ完成されているとはいえない。肝心の箇所で彫りが浅くなり、せかせかした印象を受けるからだ。この点はスメタナ四重奏団によく似ている。

 いやー、とにもかくにも、ヴェーグ四重奏団の再録音は凄い。今はこれだけしかいえない。


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