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ブダペスト四重奏団のベートーヴェン [弦楽四重奏団]

 ブダペスト四重奏団の名演奏が近年蘇りつつあることが嬉しい。

 ブダペスト四重奏団は戦前派の名門である。1917年にハンガリーの首都ブダペストで結成された。当時のメンバーはブダペスト国立歌劇場管弦楽団の楽員であり、全員がハンガリー人であった。

 ところが、1927年にジョセフ・ロイスマンが第2ヴァイオリンに加わるとアンサンブルに変化が生じる。彼はベルリンで音楽を学んだロシア人で、演奏のスタイルもハンガリー流儀と異なっていた。2・3年後にはその実力ゆえ第1ヴァイオリンに代わり、1930年には同じロシア人のミッシャ・シュナイダーがチェロ、1932年には、弟のアレクサンダー・シュナイダーが第2ヴァイオリンとして参加、1936年にヴィオラとしてボリス・クロイトが加わると、全員がロシア人の団体になってしまった。さらに彼らに共通するのは、全員が音楽的素養を本場ドイツで学んだという点である。

 彼らが活動の場をアメリカに移したことにより、彼らの華麗なる軌跡がレコード史に残されることになる。大きく分けて、ブダペスト四重奏団の演奏史は3つの期間に区別される。

 ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第14番を比較材料にして、三つの時代を追ってみよう。

 最初の時期は上述した4人による黄金時代である。心と技の両面においてもっとも安定していた時期にあたり、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲を(5番を除いて)全曲収録している。

 

 この時期のベートーヴェンは、新即物主義的なアプローチを取り入れた斬新なものであり、そこに厚みのある血の通ったアンサンブル、スコアの読みの深さとが融合した秀演が揃っている。ジュリアード四重奏団の旧全集をさらに突き抜けたような演奏で、戦後の演奏スタイルの出で来始めの祖といった感がある。ブダペスト四重奏団の実力がいまいち信用できない方にも是非聴いていただきたい名演である。40年頃の録音ではあるが、CDへの転写がうまくいっており、楽しめる。

 緊密なアンサンブル、楽想に漲る緊張感、感情をなだらかに起伏させ、曲の味を濃厚たらしめていく手腕がことさら光っている。当時から理想的なテンポ設定であることに驚かされる。分けても緩徐楽章の流れの良さ、感情を波立たせずにじっくりと進めた終楽章が素晴らしい。

 第2期は、1944年に第2ヴァイオリンのアレクサンダー・シュナイダーが自身のカルテットを結成すること目指して脱退し、ジャック・ゴロデツキーが加わった期間である。ゴロデツキーが1955年に世を去るまで続いた。この時期には、ライヴ以外では二度目となるベートーヴェン全曲を遺した。

 この時期の録音は、先の録音に比すると信じられないほど抒情的であり、そこら中から神々しい輝きを放っている。ストラディバリウスの絹のような柔らかい手触りが印象に残る。心のこもったアンサンブルであり、聴いていてほっとさせる。このCDを購入した当時、私は作品131のフェイバリッツを探求している時期で、本当に数え切れないほどのディスクを聴き漁っていた。ブダペスト四重奏団の凄さを嫌というほど思い知った思い出のディスクでもある。

 残念なのは、CDへの復刻がいまいちなことだ。LPからの板起こしのようであるが、ノイズリダクションをかけすぎたのか、左右の音揺れで聴いていて気持ち悪くなる。マスターが残っているのであれば、ぜひ高音質での復刻を望む。

 1955年ゴロデツキーの死去により、再びアレクサンダーが戻ってきた。この時期を第三期とする。演奏は40年代の新即物主義的なアプローチが極められた厳格なものであった。

 

 この時期に彼らは最期のベートーヴェン録音(ステレオ)を行なっている。永らく廃盤状態であり、中古CDショップでは30000円の値がついているのを見たことがある。昨年タワー・レコードが復刻してくれた。おそらく、名盤という評価の割には大したことがない、という印象をお持ちになられた方もおられるにちがいない。

 何といってもコロンビアの録音がデッドで、弦がかさつく。ザラザラしたノイズもひどい。ベートーヴェンの干物のようである。高音がきんきんして耳に刺激的であること夥しいものがある(SRCR1901/8、最新の復刻盤は未聴。ひょっとしたら改善されているかもしれない)。さらに言えば、技術的にも衰えが散見される。

 しかしながら、私は聴くたびに頭を垂れてしまう。ここに作品131の全てが詰まっていると言っても過言ではないものが充満している。磨き上げられた解釈、四奏者の心を通わせたアンサンブル、透明で枯れ切っていながら温かい音色、静謐さを保ちながら多彩な感情表現を巧みに音化していく上手さ、聴いた後に心に残るずっしりとした重み。押し黙ってじっと目に涙をためているベートーヴェンがいる。

 本当に凄い演奏だと思った。

 ブダペスト四重奏団が最後にたどり着いた境地として、私にとってはやはり宝物のようなベートーヴェンなのである。


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うぐいす

kitakenさん、こんばんは。
今回のエントリー、いつもながらの深い洞察力に感服すると同時に、ブダペスト四重奏団への愛情がひしひしと伝わってきますね。

うぐいすの場合はブダペストの新旧盤(2度目と3度目)、曲によって好みが分かれてます。
新盤(3度目)は構成感のしっかりした名盤だと思います。中期のラズモフスキー3曲や16番は新盤(3度目)が大好きで、音色が渋くて枯れた感じがまた、これらの曲にハマっています。
一方、12~15番は旧盤(2度目)の方が好きなのです。後期の曲はそのがっちりした構成と同時に、なぜか意志の力を感じさせる勢いと抒情的な表現がほしくて・・・後期のこれらの曲はあんまり渋いのは聴いていてつらいのです(でも15番は新盤も結構好きですが)。まあ、これも修行が足らんといえば、そうかもしれませんね。
by うぐいす (2008-01-14 23:22) 

KITAKEN

うぐいす様

こんばんは。勝手な思い入れを書き連ねましたのに、もったいないお言葉、恐縮しております。ありがとうございます。

ブダペスト四重奏団は時代を追って聴くことによって、演奏や解釈の変遷がはっきりと変わるので、レコード史としても面白い団体です。

吉田秀和氏がどこかに書かれていましたが、「ブダペスト四重奏団の全集は何かが増えると同時に何かが消えていった」そうです。氏はそこで新しい全集盤よりも、モノラルの旧盤を愛聴されていることを告白しています。

うぐいす様が仰るとおり、新盤はどんな曲であろうとも抒情は削ぎ落とされてしまっています。曲を裸にしすぎている感があり、他の演奏を聴いた後に聴くと抵抗があります。

代わって獲得されたのは、SP時代の選集の演奏を極限まで煮詰めたような厳格さであり、渋さだと思われます。

なぜあれだけの抒情や繊細さを表出できる団体が、最後にあのような即物的な演奏に至ったのか?ということを考え出したら、これは凄い演奏だと思うようになりました。

彼らは音楽の核だけを取り出したかったのかもしれません。晩年フルトヴェングラーが、

「形式は明確でなければならない。すっきりとして枯れていて、決して余分のものがあってはならない。しかし、核が、炎の核があって、炎の核があって、その形式をくまなく照らし出さなければならない。」

という言葉を残していますが(『フルトヴェングラーとの対話』)、ブダペスト四重奏団のステレオ盤からはその言葉に通じるものを見つけました。

もっとも、私自身、愛聴盤とするにはあまりに厳しすぎ、まだまだ彼らの芸術の理解者になれた気がしません。
by KITAKEN (2008-01-15 00:34) 

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