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シューベルトの歌曲『冬の旅』(弦楽四重奏版) [シューベルト:弦楽四重奏曲]

 嫌ですね、書きたいこともいっぱいあるのに、聴きたい音楽もいっぱいあるのに、諸事情ですべて頓挫してしまう。

 近頃の私は病気にかかってばかりいます。年末年始にかけてはノロ・ウィルスで一家中で苦しみ(もっとも、最長老の父親だけはまったくの健康体。元気ぴんぴん。不死鳥か?)、つい先日まで気管支炎でひどい咳と高熱に苦しみました。

 頭がくらくらして気分も優れない時に、よせばいいのに、ロジェストヴェンスキーのショスタコーヴィチを聴いてしまって、そのハード・コア級の大音響に、あっという間にショスタコーヴィチ熱が冷めてしまいました(笑)。

 少し離れていた弦楽四重奏に、また立ち戻りたい今日この頃です。のんびりとやっていきます。

 今回選んだディスクは、シューベルトの歌曲『冬の旅』の弦楽四重奏版です。カテゴリーが[シューベルト:弦楽四重奏]になっているのはそのためです。

 といっても、シューベルトが弦楽四重奏版を残しているわけではなく、これはイェン・ヨゼフという私が存じ上げていない作曲家の手による編曲版。弦楽四重奏版は他にツェンダー編曲版もあるようですが、私はこちらを選んだ。それはもちろん、他ならぬヘンシェル四重奏団が伴奏を担当しているから。

 「テノールと弦楽四重奏のための」という但し書き入り。これはこのCDの歌い手クリスティアン・エルスナーの依頼による編曲版であるためだそうで、これまた貴重な一枚だと面白くなった。

 冬はやっぱり『冬の旅』でしょう。CDをプレイヤーにかけて聴いてみる。

 どうにも寒くならない。凍てついた大地が感じられない。古くはフィッシャー・ディースカウがムーアと組んで入れた盤、ロベルト・ホルの世界の果てから響いてくるような盤で、この楽曲をことあるごとに楽しんできた私にとっては少し肩透かしをくらった感じ。

 むしろこの編曲に感じられるのは、温もりだ。孤独な旅に出る若者を ― それは人生という道を辿っていく私たち自身の分身に他ならない ― 柔らかい落ち葉で包んでいくような趣。聴きなれた楽曲から、今まで聴いたことがなかったような新鮮なニュアンスや新しい発見がある。

 何より、エルスナーの歌が素晴らしい。解釈としても一級で、癖がなく、妙に深刻ぶらず、朗々とその美声を響かせていく。それでいて内面描写やシューベルトの暗部に光を当てることに欠けてはいない。編曲はシューベルトの残した楽譜をできるだけ忠実に再現しているようで、違和感は少ない。ピアノにはピアノの表現力があるな、という部分と、弦楽四重奏には弦楽四重奏ならではの表現力があるな、という部分が当然感じられた。

 残念なのは、ヘンシェル四重奏団の演奏が凡庸であることに尽きる。編曲版の楽譜をそのままなぞったような印象。ピッチカートは他の弦の響きに埋もれがちだったり、強弱のつけ方が不自然で、雰囲気を損なっている箇所が多々あった。肩に力を入れずに淡々と奏しているのは良いとしても、もっと激情やぞっとするような不安な響き、不健康な美しさが漂うのが『冬の旅』ではないか。

 このCD一枚では、ただ「気の利いた編曲と演奏」という印象で、ヨゼフの弦楽四重奏版の魅力が全快しているようには思われません。より、心・技・体が調和した演奏が求められることでしょう。


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ケラー四重奏団の「死と乙女」 [シューベルト:弦楽四重奏曲]

 「大フーガ」を聴いてばかりいて、少し違う音楽を、と思って手にとったものがケラー四重奏団のシューベルトだった。このCDは滅多なことでは聴かないのだが、BLOGに一度書いておきたくなり、改めて聴き直す。

ケラー四重奏団 (Hungaroton) 1989年録音
1st 12'00'' 2nd 15'04'' 3rd 3'55'' 4th 8'55''

 私がもっとも信頼する音楽評論家のひとりに幸松肇氏がおられる。幸松氏はこの盤について「この大曲をほとんど無傷で弾き通すことは不可能に近いが、彼等にはそんなそんな心配は全く無用だった。(中略)他の団体では最後まで無事で生還して欲しいと祈るあの聴衆の苦しみを感じさせなかったのはこのケラーだけだった。(中略)彼等の自然の発想と自然な発音が曲想と完璧にマッチして、聴衆が安心して曲の発展に身を任せていられる余裕を生み出している」(『クラシック名盤大全 室内楽曲篇』より)と書く。しかしながら、このCDの演奏はそんな簡単な言葉で済まされるようなものではない。

 シューベルトの音楽は、私はある時からとても怖くなった。その怖さとは、心地よい眠りに包まれ、安らぎに身を浸す甘美さ、しかし、一度目を閉じればもう二度と目覚めることはないのではないかという不安のような感覚だ。

 いつから、そのような怖さを知ったのだろう。それはおそらく内田光子による最後の三つのピアノ・ソナタを聴いたくらい?いや、ムラヴィンスキーの指揮する未完成交響曲をビデオで観たときくらいか?ホルの歌う「冬の旅」を聴いて空恐ろしくなった?

 このケラー四重奏団の演奏も怖い。暗い暗黒がぽっかりと空いている。その暗黒からは懐かしい子守り歌が絶えず流れてくる。お前の安らぎはここにあるのだよ、と生きている身を揺さぶるような何か深いところからの菩提樹の声がする。何という甘美な夢なのだろう。二楽章の主題の奏し方など、聴いているだけで魂を吸い取られるようだ。また、ゆったりとしたテンポが輪をかけて安らぎを与えてくれる。第二変奏のピッチカートが何と優しく、それでいて虚ろに響くのだろう。身をよじるようなヴァイオリンの旋律が私たちの心とともに泣く。第三変奏の涙に濡れたチェロの歌、第五変奏の過ぎ去りし幸福を振り返るような、胸を締め付けるような初々しさはどうだろう。最後はゆりかごに乗った子供時代に回帰するようでさえある。

 一楽章も絶品である。旋律の歌い方からして一味違う。その美しい旋律には吸い込まれるようだ。シューベルトは何という美しい音楽を書いた人だったのだろうか。三楽章のスケルツォもけしてきつい音にならない柔らかい奏し方が美しい。おとぎの国に遊ぶようなアレグロ・モルト。速くもなく遅くもないテンポ。これが梅毒に冒されていた作曲家の夢なのだろうか。

 終楽章は動きのある音楽であるが、ケラー四重奏団の演奏はどこかけだるさがある。けして、ドラマに浸りすぎることなく、ひたすらシューベルトの書いた美しい旋律とそのたっぷりとした情感とを音化することに努める。コーダの決め方も素晴らしい。

 


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