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ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第14番の終楽章は「勝利」か [ベートーヴェン:弦楽四重奏曲]

 昨夜はベートーヴェンからはじまって、モーツァルトのオペラをつまみ聴きし、ビートルズのアルバムから何曲かを取り出して、自室のベッドの上でごろごろと煩悶していた。

 ふっとブダペスト四重奏団の第1ヴァイオリン、ロイスマンの肖像と目が合ったこともあり、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第14番から終楽章だけを取り出して聴き入った。

 私がベートーヴェンの四重奏の魅力に目覚めたのは、東京カルテットの後期四重奏曲集だった。どの演奏もがっしりとした構築と雄大な広がりがあり、難曲として知られる14番の素晴らしさに精神的に未熟な青年時代にも関わらず、何か大きな、怖ろしいものに抱きすくめられたような感動を覚えたものである。

 数年前に、ベートーヴェンの四重奏曲にどっぷりと浸かりたいと一念発起し、入手しうる名盤、廃盤も含めてかなりの数を聴き込んだ。その数は数え切れないが、何回聴いても、シンフォニーのようなとらえどころを感じない。むしろ、ますます深遠へと引きずりこまれるような思いがする。

 私にとって思い出深い名盤は、バルトーク四重奏団である。今聴くと多少弾き崩した雑な箇所もあるのだが、彼らの血がなす業か、その演奏にはジプシー的な哀感と漲るような歌のほとばしりがあった。はっとするような思いがしたものである。終楽章の超スピードにはカペー四重奏団に通じる精神的な偉大さを感じた。

 ベートーヴェンの音楽の中で、どの曲が一番好きかと問われれば、いささか躊躇するものの、5位以内にこの曲が入る。特に終楽章が一番好きなのだ。

 この楽章の理想的な演奏は、長い間「とにかく速いテンポで、絶対に低回することなく、悲哀を感じさせるもの」でなければならなかった。このような理想的な名演奏に出会うために、私の「弦楽四重奏との歩み」は始まったとも言える。

 有名なアルバン・ベルクも、微温的なクリーヴランドも、ドイツ的な体育会系メロスも、仙人のようなヴェーグも、血気盛んなジュリアードも、独欧のうさぎ狩りを思わせるズスケも、高級ジャムのようなバリリも、知性と詩情のターリヒも、どれもこれも一味足りなかった。

 そんな私を驚かせ、体中が喜びで震えるような感動を与えてくれたのは、プラジャーク四重奏団だった。冒頭から理想的な快速テンポとしっかりとしたリズムの刻み方が印象的で、これぞ理想のテンポだ!と唸ったものである。

 その考えはしばらくの間変わらなかったが、私の考えを根本から変え、14番に対する印象すら変えさせたのがブダペスト四重奏団だった。

 はじめは50年代のモノラル全集で、その後はステレオ全集で、彼らの解釈が何たるかを理解するようになるのであったが、とにもかくにも、衝撃だった。

 ロマン・ロランは、この終楽章を「勝利」の歌だと呼んでいる。私の見識違いかもしれないが、とんでもないことだと思う。そのことを教えてくれたのが、ブダペスト四重奏団だった。

 そんなことを思い出しながら聴くこの演奏は、朝まで私を眠らせなかった。  


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